法務局から?両親に直電!?

30代後半に出会い、なんだかんだで5年過ごし
て離婚した。

職場結婚だった。

当時の自分は結婚願望に飢えていたのかも
知れない。当時を思い返せば、いろいろ
よみがえるが、知人、親兄弟は真っ向から
結婚反対だった。

北関東にある実家に行き、両親に説明して
結婚を承諾しないと縁を切るとまで
親を脅迫?した。

半ば強引に区役所に婚姻届けを出した。
式はもちろん挙げていない。
事務手続きだけのペーパー婚だった。

自分はそれでいいと思っていた。
煩わしい親戚とか呼んで、賛成もしてないのに
わざわざ式を挙げる意味がないし、自分も
祝ってもらいたいとは思わなかった。

自分以外の親戚は、外国人と結婚したのは
いないからだ。そういう閉鎖的というか
素性の知れない外国人への不信感が
今でもある。
そういう感じが田舎の絶望感でしかない。

それだけ親戚関係は疎遠で冷え切った関係
だった。

後日、法務局?から実家の両親に
結婚の件で問い合わせが来たそうだ。
もし両親が結婚の事実を
知らなければ却下されていただろう。
偽装結婚が流行っていた時期だったから
確認の電話だったのだろう。

当時の神奈川県にある外国人のビザ
申請を使う場所が、関内にあり、
中に入ると異世界があった。

マイノリティの人種がひしめいていたからだ。
白人系はあまり見かけず、アジア系が
ほとんどだった。

当時は移民とか皆無だった時代だった。
だから、普通に条件を満たしていれば、申請は
受理された。

元嫁は、日本の永住権が欲しいから
結婚という手段を選んだのだ。

これをいいとか悪いとか、判断できない。
外の世界を自分知っているが、
言葉も不自由なわからない世界に身一つ
で来日して生活することは、並大抵ではない。

日本人のように定住安定思考は、考えにくい
と思うが、中国人はそれを軽く超えて来る。

そういうフットワークの軽さは尊敬に値する。
当然日本語はできないし、話せない。
そんな状況で日本に来たのだ。

来日した経緯は後日語ります。

離婚後しばらく連絡をしてなかったが、
ここ数年連絡を取り合い、関係修復とは
言わないが元嫁の様々な手伝いとか
食事とかして交流している。

自分には友人がなく、ある意味孤独だ。
人生を閉鎖して孤独に生きるのか?
受け入れる環境や人があれば付き合うか?
二者択一だ。
いずれ死ぬのだ。
そう考えれば迷うことはない。

しかし結婚に一番反対していたのは母で、
母は女の直感と中国人への田舎者の偏見
が強い。世間的に中国人の評判は良くない
のは事実だし。

現在母は高齢で体が不自由だが、いまだに
嫌っている。もう理解させるにはムリだし、
理解してもらおうという努力もばかばかしい。

そりゃ損もしてきた。その損は結婚という
定義で考えれば、外国人であろうと
お互い損得はあるだろうね。

自分とともに時間を共有してきた軌跡は
何よりも貴重だと思う。それがあるなし
では人生の深みが違ってくるものだ。

最後までありがとうございました。