【追悼】フィリピン・パラワン島から YouTube 誠ちゃんねる より 宮田さんの突然死・・・

 

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はじめに

先日訃報というニュースが流れた。いつも視聴している番組だけにドッキッとした。そのタイトルは、宮田さんの訃報だった。

 

宮田さんとは?

宮田さんは70代後半の人で、フィリピン人と結婚してパラワン島に住んだ日本人第一号みたいな人だった。誠さんと宮田さんの昔話や苦労話武勇伝、懺悔話はためになる話が多かった。聞き取れなかった会話は、もう一度再生したものだ。大腸がんの再発におびえながら、最終の臨終を明るく語っていた。

 

宮田さんの死は、病死ではなく、事故死だった。これもショックだった。それも真昼間のプールで遊んでいて、転んで後頭部をぶつけてそのまま意識不明になってその夜息を引き取ったという。あまり外にでない宮田さんだったが、誠さんに誘われてプールに行ったらしい。そこでの事故だった。

 

なんとも不幸な事故であった。本人がアレ?と思う間にあの世へ逝ってしまったのだ。本人が一番???なハズだろう?しかし運命とは、そんなものかも知れない。当たり前だが、一寸先は闇という。明日死ぬかも知れない。明日けがをするかも知れない。誰も明日のことなどわからない。予想しかない。そんな生と死の狭間を私たちは生きているのだ。

 

日本というストレス?

それは、日本というなにか得体の知れない、プレッシャーと意味もなく距離を取りたがる日本人への警告でもあった。フィリピン人の愛想、図々しさ、馴れ馴れしさ、傲慢さ非常識さは、枚挙にいとまがないが、それはフィリピンだからということを宮田さんは知っていたし、それが合っていたのだ。

 

私も、タイ、カンボジアベトナム、中国とバックパッカーしたが、日本とまったく違う文化に傾倒したものだ。神経が緩む感覚なのだ。それは、日本から出たことのない人にはわからない感覚だ。

 

そして私もいつか、東南アジアに住んでみたいと思うようになった。そして今では日本を離れて臨終の地をそこに決めたいと思うようになっている。私のように考える日本人男性特にシニア層は、そう思うだろう。

 

社会からのシニアの差別とヘイト

昨今の社会制度といい、風潮といい、日本人男性を馬鹿にして、制度やシステムが不利な方へ不利なほうへとシフトしている。だからすごく生活しにくい。そして単身者の男性は仕事にしても、社会の対応にしても冷たい対応しかない。例えば、仕事にしてもシニアの募集は偏っている。工事か、警備はあるが、その他は差別的と言われるほど、ないし、あってもキャリアを要求したりする。

 

結局雇用者側が、シニア層を必要としていない現状がある。政府は是正?しているのかもしれないが、社会システムがシニアを受け入れない現実。がある。だからますますシニア層は、貧困になり、社会が悪化する。それにも関わらず、外国人を安く雇用するなど完全にシニア層を排除しているとしか言いようがない。

 

だから「こんな国糞くらえ」と思っても仕方がないだろう。そんな不満だらけ、「差別、とヘイトだらけの日本社会などとおさらばしたい」という思いは、ふつうではないだろうか?先の宮田さんは、事前にそれを察知していたのだ。なんでそんなストレスを抱え悩んでまで、日本にいたいのか?愛する人もなく、離婚した家族もあり、このまま日本にいてもムダと思ったのだろう。

 

フィリピンという天国?

フィリピンパブで知り合った、女を追いかけてフィリピンに行ったわけだが、それは身内からすれば、「みっともない」話になるだろう。子からすれば、「オヤジはなにやってるんだ?フィリピン女の尻を追いかけて、恥知らずめ」と言いたいだろう。もし自分が子なら、そう思うかも知れない。

 

しかし、宮田さんは子を育てた。後は自分の人生を楽しむという、日本人の感覚ではない感覚だった。生き方として何歳であろうが、求めてもよいだろう?なぜ高齢になったら求めてはならないのだ?なぜ自粛をしなければならないのか?なぜ社会常識通り生活していかなければならないのか?

 

もっと遊べ・・・

なぜおとなしくしなければならないのか?もっと遊んでもいいじゃないか?もっと馬鹿をやってもいいじゃないか?もっと残りの人生のために生きてもいいじゃないか?それを非常識という社会のレッテルが日本の常識なのだ。だから、生きずらいと言いたい。宮田さんはそれをわかっていた。

 

だが食生活は、日本食を好んでいたのだ。味覚はやはり日本味にこだわり、うなぎが大好きだった。だからとて食生活ごときで戻る気にはならないし、理由にもならない。馬鹿な人は「食が気に入らないなら、帰ればいい」いうだろう?そういう問題ではない。

 

宮田さんは孤独だった

日本へは、「二度と帰らない」と決めていた。どうしてなんだろう?宮田さんの孤独、フィリピンに来ても愛しているかないか?わからない妻?とその家族たち。宮田さんの年金とカネが目当てで、用もないのにひんぱんに訪ねてきた。結局カネだったという事実。

 

宮田さんは、わかっていたのだ。カネで孤独を癒していた?ということを。失礼な言い方だが・・・日本にいてもフィリピンにいても孤独・・・それは、家族無しのシニア世代の共通した苦悩だ。しかし、それでも生きていかなければならない。

 

宮田さんのご冥福をお祈りいたします。

南無阿弥陀仏