【天国と地獄】自信喪失が致命傷だったという結論・・・19

甥からの暴言の仕打ちは、oさんには非常に効きすぎる過ぎる位効き過ぎた。逢うたびに「なんでこんなことになったのか」と嘆いていた。そりゃそうだろう。次期店長という希望ホープの甥にここまで酷い仕打をされたら、誰だってノイローゼにもなるでしょう。からだの調子も悪くなる一方で改善の余地がない。

 

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食事毎のインシュリンも欠かさず、食べたいものが制限されていた。グルメのoさんには、厳しい毎日が続いていた。それでも体重は減らず、100キロ以上の巨体を維持していた。どうしても我慢できない時は、食事制限の反動でバク食いしてしまうこともシバシバあった。しかしそうでもしなければ、なんのために生きているか?わからなくなる。

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楽しみのない人生など人生ではない。たとえ明日が命日と宣告されたなら、今日を生きるでしょう?それが短いか?長いか?よかったのか?悪かったのか?一体誰が決めるのだろうか?●●●の譲渡もこの時期に並行していた。だからいつも冷静沈着なoさんではなく、非常に弱気で一番大事な決断を、相手に言われるがままに、条件を飲んでしまったのだ。それが他人からみれば不利な条件に」見えても。

 

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「もうなにもかも捨てて隠居したい」という心境だったのだ。従弟を信用しての譲渡条件だった。それが、役員報酬として毎月支払うという悪条件だった。一括2000万円を提示したが、従弟はそれを断り、分割払いにしたのだ。これを泣く泣く承諾した。そして従弟の手に店が渡り、隠居となった。自分が決めて承諾したこととはいえ、後悔をしていた。

 

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度重なる甥の不祥事と焼き手との葛藤。焼き手もオーナーチェンジと共に退職したのだ。結局新オーナーと合わなかった。癖のある焼き手は、もうこの店で続けることができなかった。すでに役員となったoさんに相談されても後の祭りだった。フロアマネージャーも一新された。甥はクビになり、どこか知り合いの居酒屋に行ったらしい。

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相変わらず北海道の実家では、実弟の横暴は止まず、母を人質に大いばりをしている状況だった。実家に行きたくてもこの弟がのさばっているので、行けない。母も痴呆が酷くなり、弟が自分を面倒見てくれている、という思い込み。母は弟にぞんざいな扱いをされても、殴られても、そのことをケロっと忘れてしまうらしい。だから傷があってもそれがいつどこで傷がついたのか?忘れるらしい。実家から離れられたくないと言う信念はあるのだ。

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これ以上弟と一緒にいると、いつか本当に危ないことがあるのではないか?という不安な気持ちしかない。しかし母本人がこの状態を望んでいるのであれば、それはしかたがないのだ。そう肩の力を落とす。もうこの時期になると、「ご飯を食べに行こう」と行く場所は、丸亀製麺だった。従弟はコロナ前に恵比寿で2号店を出店する計画をした。これをマズイと思い、oさんは忠告したのだ。しかし従弟は忠告を聞かず、恵比寿に出店したのだ。

 

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それ以来、oさんとは連絡が途切れ、どういう状況になっているのか?興味があるが、コロナ発生の6か月前に出店した恵比寿店は、従弟の経営センスのなさの現れだった。現在の状況で飲食店を開業するなど命取りだろう。個人店にとってコロナの影響は死活問題なのだ。私はこの状況でミシュランに輝いた●●●を知りたいとは思わない。

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私の中にあるのは、数年前に輝いていた●●●しかないのだ。どんなトラブルも跳ね除けて、荒波を乗り越えやってきたのだから。汗水垂らしてがんばってきたoさんの夢を壊したくない。勝手な理想だが、「なぜこうなったのか?」「なんか悪いことした?」と自問自答するoさん。年金世代になったが10年前に思い描く悠々自適生活とは程遠い結果になった。

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闘病と自粛生活で今では、地元北海道に帰省しそのまま定住した。やはり彼にとって懐かしいふるさとであり、心安らぐ場所だったのだ。●●●を開業してやっと安らかな時間が訪れたに違いない。一生懸命に焼き鳥屋を経営してきた。その結果が隠居と言うかたちで終了したのだ。人はこれを失敗人生と言うだろう。成功者なら、悠々自適の隠居生活で生活苦もなく悩みや苦しみもなく、楽しいだろう。だが現実には、多くの人たちが不幸のうちに人生を終えてゆく。

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じゃあ、彼らは人生に努力をしてこなかったのか?無駄に生きて、平凡に体たらくな生活で人生を過ごしてきたのか?貧困にあえぐ高齢者を見て、若年者は「努力して来なかった」「自分たちの世代より恵まれたバブルを経験してきたのに?なぜ貧困?」「自業自得だ」と言う人が多い。過程はどうであれ、結果がすべてなのだ。

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結果が金を持っている。家を持っている。家族を持っている。一般的な所有していることが成功者なのだ。これに当てはまらない人は、負け組と言う。果たしてそうだろうか?日本では特に仕事への差別が大きい。新卒でも一度でも階段を下りれば、落伍者の烙印を押す社会だ。事業もそうで一度でも失敗、倒産するとそれで人生を終了する。再チャレンジを認めない社会だ。リベンジを積極的に受け入れるべき社会にすべきだ。日本社会はいびつだ。差別が現実にあるのに見て見ぬふりをする社会だ。努力してきた人を救済しそして再チェレンジできる社会にすべきなのだ。それが今回シリーズ化した「天国と地獄」ふつうのおっさん人生だったのです。