自閉症・離人症・うつ病・孤独症・ノイローゼという病気

自閉症は改善する

自閉症というのは、あまり自覚がなく突然というかその人の気質や性質で発症するのだと思う。

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実際自分に関して言えば、幼稚園の頃に吃音ぎみと先生からの報告があった。先生は多くの子供を見てきているので、その子の特徴を見る見識があるのだと思う。生活手帳を見てそれがハッキリ書かれてある。確かに吃音いわゆるどもりだった。

恥ずかしがり屋の自分は、話すことが苦手でいつも赤面するクセがあった。そのことを老いた母に話すと「自分がせっかちだったかも」と言う。

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それで理解できた。結局親の教育方針においてどもりが発症したのだ。たぶん・・・負けず嫌いの母としては、となりの子より優秀であることが責務だったのだろう。今も昔も変わらないと思う。そういう母の大きな期待を叶えようとがんばった末にどもるという現象が起きる。

どもると親に怒られた。怒られるからまたどもるという悪循環だった。友人から馬鹿にされるので自然と話さ
なくなり、孤立するようになった。これが自分の最初の自閉症への道だろう。結局、母のおかげで発症したと思う。これを本人の甘えともいえるが。

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あまりどもるので、小学校の担任はその分野の専門家が来た時に、自分を校内放送で呼び出し別室で検査された。最近までこの検査は、自分を特殊学級に入れるためのなんらしかの知能試験だったのではないか?と思っていた。これを老いた母に聞いてみると、言語障害の専門家がテストしたということだった。この時の嫌な記憶はハッキリ残っている。劣等生というレッテルを張られてた。恥ずかしいというか?馬鹿にされたと言うか子供ながらに大人ふざけるんじゃねえ!!とメラメラと大人怒りを内在した。そういう小学生だった。この頃から大人への憎しみと不信感が増大したキッカケになった。

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考えてみれば小学校高学年から、すでに自閉症を発症していたのだろう。誰もそれに気づかず自然に治るだろうとか簡単に考えていた。それから約8年間は孤独を好むというか、そうならざる期間だった。

自閉症には、いろいろタイプがあると思います。

1 一切外とシャットダウンする
2 とりあえず必要最低限会話できる
3 普段は、明るいように見えるが実は苦痛
  の社会生活を送っている。
4 薬を服用しながら生活している。
5 いきなり爆発する。
6 自暴自棄になる。
7 他人に攻撃的になる。
8 自滅する。
9 ひきこもる
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というような例があり、これらは自閉症と言えるでしょう。自分は自閉症の素質を持って生まれたわけで、これを自慢も否定もしない。ただあるがままに捉えたいと思うのです。よく突発的な事件や事故がありますが、これらは精神疾患で、ある意味自閉症の延長のように思えます。

考えられないような殺戮、考えられないような殺人、考えられないような死に方。犯罪者は自分が精神疾患になっているとは自覚していない。本人は正常だと言い張りたいのでしょうが。

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心のキズは、あるキッカケでスイッチがオンなります。負の連鎖が積み重なっていったものなのか?本人しかわからない。そういう自分は狂暴性があり、自暴自棄であります。それを知っていた両親はいつも心配をしていました。親というのは大変です。特に正常でない子で世の中を憎むような子に愛情を注がなければいけないのですからね。

自分は自分をコントロールできない人間でした。それを自覚するにはさまざまな体験を経て自覚しました。だから空手を習い始めたりしてなんとかこの苦しみから逃れようとしました。自分の居場所ですね。しかし組手中に前歯をへし折られて、そこで終了しました。

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友人が一切いない自分は、孤独でした。1日誰とも話さない。これは楽ではありますが、世間体としては、苦痛でした。まわりを見回せば、楽しそうに青春している連中ばかりです。そんな連中を見て呪いをかけたりしたものです。だから自分の青春など真っ暗で暗黒でしかない。黒歴史なのです。本人の問題といえばそうですね、本人の問題でしょうね。でもこういう変質した人を受け入れてくれる場所や人が必要だったと思います。

ある日、駅の通路の隅に一人立っているおばさんがいました。そのみすばらしさは誰も近寄らず、皆その
おばさんを避けていました。自分は妙に気になり近づきました。

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真光文明教との出会い

よく見ると世界の幸せを祈るとかそんな内容の紙を持っていました。なぜか、強烈に惹かれ新興宗教に世界に没入したのです。知らないおばさんに連れられて、ある一軒家に入りました。薄暗い畳部屋の中に多くの信者がいて主に中高年者だったと思いますが、なにか?しているのです。あまりの怪しさに恐怖を覚えましたが、この
はみ出し者をやさしく笑顔で親切に歓迎され、迎え入れてくれる人々に、今までにない心の平安を感じ安堵したのです。自分はやっと安らぎの場所を発見した。そこは真光文明教という新興宗教でした。それまでの毎日が葛藤で、毎日が戦いで、毎日が苦痛の日々だったけど、おじさんおばさんたちに救われたのがそれが新興宗教でした。自分の家は無信仰でしたから、面白みのない無教養な家庭でした。それに自分のようなダメ人間を受け入れてくれる人がいるんだ!という安堵感は、その後の人生を変えました。

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結論

結論として、自閉症は自覚すればいい。自暴自棄になって自分を捨てないで、狂暴になって人を傷つけないでください。マイナスの方向に向かえば楽かも知れません。悲しむのは、家族や兄弟、本当に後悔するのは、将来の自分自身です。

犯罪者の精神疾患率は高いのです。自分以外は敵という潜在意識があるからです。敵は自分の中にあります。自分は宗教によって救われましたが、紆余曲折は当然あります。他人を認め他人を受け入れるというのは、私のような自閉症としては苦痛です。

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他人の片言が気になり、小耳の挟んだ言葉に怒りを覚えるなんてしょっちゅうあります。今でも爆発を温存しています。これを否定もしません。なるがままに抑えるだけです。そうするしかないのです。それでことを起こせばダメージをくらうのは自分自身ですからね。そんなバカなことささいなことで自分を追いつめてはいけない。ささいなことはいずれ忘れるし、気にしなければいい。ただそれだけです。

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それは自閉症という病を完治せず、いまだ持ち続けているから、自分が怖いと思うこともある。心療内科では、被害妄想と言われた。

同じ苦しみを持ち、自閉症で苦しんでいる人の参考になればと思います。