【天国と地獄】実録ふつう人のおっさん伝 1 注目すべき人々との出会い

あらすじ

ダイニングキッチン・焼き鳥屋○○○の元オーナー○○さんという(以後Oさん)天国と地獄を味わったふつうのオッサンの人の偉人伝です。同じことを何度も言うという癖を持つ人の人生劇場なんです。「なんだ?おまえの友人なんか興味ない!」と言わないでください。波乱な人生を歩んできて、いまではおっきなお腹に注射を毎日打つような、人工透析一歩手前なのです。Oさんの半生から・・・読んで頂いた方への生き方?のアドバイス?励みになればと思いOさんに断らずw勝手に見聞きしたOさんの自叙伝を連載しました。

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泣き笑いの苦節25年の飲食店経営、新宿という激戦地区で飲食で勝ち抜いてきた。現在のOさんは糖尿病と戦う毎日で、毎食、食べるたびにお腹にインシュリン注射を打ち続けています。そんな大西さんの半生を覚え書ではありますが、記憶を辿り連載しました。ちなみに現在のOさんは、とりあえず元気なようです。【天国と地獄」と付けたのは、Oさんは日本初の日本料理焼き鳥部門で、世界最高峰の栄誉である、ミシュランでビルグマン賞を受賞したのです。この素晴らしい経歴のOさんを励ましたい。そしてなにより日本の焼き鳥文化を世界に発信したOさんの功績を発表したい。現在のおしゃれ焼き鳥屋の起源はすべてOさんのモノマネでパクリです。本家本元が新宿地鶏焼き○○○なのです。

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以前、成功者として雑誌のインタビュー取材を受けたこともあります。飲食業界では彼を知らない人はモグリと言えるでしょう。そんなOさんの輝かしい天国と現在の地獄の、悲惨な状況を書き連ねていきます。昭和の激動の時代背景と世相も飲食業にとっては重要な分岐点でした。飲食経営の難しさ、同業者からのいやがらせや妨害、ネット評価の食べログの登場と不信な評価の数々、従業員の激しい入れ替わりで面接の毎日、信頼していた板長の反乱と裏切り、私生活でのトラブル、自分自身の体調の悪化と入退院、精神的に追い詰められる日々、甥という身内を店長にしたことが、最悪のシナリオ、Oさんの地獄の始まりだった。

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身内の甥から受けた最悪な状況とその顛末、身内の実弟からの裏切りと恨み妬みそして復讐、父の死と母の財産を巡るトラブル。本当に現実とは残酷なものです。いくら親切にした、してあげても身内、ましては他人などお返しすることなどない。Oさんのやさしさは押し売りではあったが、それを返してほしいとは一切なかった。それが彼のポリシーであり信条だった。だから皆それを利用していた。皆一様に「やってあげたことは、勝手にやったこと」と言われてしまう。それでも彼は多くの人の面倒をみてきたのだ。それをOさんは嘆いていた。「やってあげたのに、お礼の一言もない」とポツリと呟いた。ましてや「感謝してほしいと思わないが、なんでもいいから感謝くらいしてもよかろう」と。

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Oさんは、私が20代後半に新宿の花園神社の隣にあったビジネスホテル「ミラベル」とうビジネスホテルで出会った人物です。いまからですと約27年前になります。昼間のフロント勤務の人は、稲富さんと言う人でした。この人物もちょっと癖のある人物だった。今でいうマニアでオタクだった。しかし、仕事に関してはしっかりやるし、間違いもなくしごとにおける実力は完ぺきな人だった。夜のシフトに明けに稲富さんに引き継ぐのが主な仕事だった。稲富さんが朝来てくれるのは、当たり前だが安心感があった。

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フロント業務は12時だったので、12時になったらフロントで寝てもよかった。しかしたまに12時に帰らない人もいて、そういう時は電気を暗くして待っていた。このホテルは、新宿にある三越とかデパートに入っている業者が多かった。いつもほぼ満室状態だった。女性のマッサージを呼ぶお客さんもいて、女性が入室すると帰りにチップをよくもらっていた。そんなビジネスホテルだった。稲富さんは、基本的に平和主義者なので、いやがらせや命令口調はなかった。ただ切れると壁を蹴るという癖があった。ふだんニコニコしているが、切れると怖そうな人だった。本質的にはやさしい、いつもニコニコしている安全な人?だった。

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このホテルは小泉家の持ち物で家族経営だった。戦後丼ものを出して成功した初代小泉のお爺さんがフロント奥に住んでいた。メインは●●さん(以後Ⅰ)だが、Oさんもミラベルの夜のスタッフであり、小泉家から絶大の信頼を得ていた。人の人選も面接もOさんがやっていた。180㎝100キロの体だったが、いつでもどんな時でもスーツを着ていた。普段着もスーツだった。人前ではキチッとしていることが彼のポリシーだった。まさにホテルマンを地で行く人だった。ミラベルに来る前の大西さんは、ホテルの専門学校に通い卒業後、赤坂プリンスのフロントやボーイを体験してきた生粋のホテルマンだった。

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当時はスリムな青年で皆から信頼を得ていた。今ではそのかけらもなく、100キロ越えの巨体になってしまったが・・・それもこれも、美食とお酒のせいで今の体形になってしまった。しかし正確は、穏やかでな人で人に気遣う性格だった。フロント業務の接客は完ぺきで絶対間違えることはなかった。まさにフロントマンの鏡だった。そして、年下であろうと決して命令口調にならない、どんな時でも敬語を使う紳士だった。

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私が体験した職場では、必ず上下関係があった。年下と見ると、新人とみるとすぐに命令口調になったり、いばったりする。そういう卑しい性格の人ばかり出会ってきたので、アルバイト先ではいつも警戒していた。私は上から目線の人とは合わないし、睨み返すので長続きしないのだ。ⅠさんとOさんに関してはそれがなかった。小泉家の人もそういう感じがなかった。だから長続きできたと言える。Oさんの趣味は美食と日本酒で、おいしい物を食べることが趣味だった。本物のグルメと言えるだろう。

つづく