【天国と地獄】実録ふつうのおっさん。地獄への分岐点 13

●●●の経営状態はよかった。経営に長けていたというか、Oさんは経営に向いていた。大学では経営学を専攻しているわけでもなく、ただただ熱意と努力の結果だった。さらにすごいのは、開業以来赤字を出したことがなかった。そしてOさんの住居も、店の発展と同時にレベルアップしていった。代々木時代の当初は新宿御苑の見える上層階のマンションだった。お店が西新宿に移転すると同時に西新宿近辺に引っ越した。タワーマンションのようなデザインマンションや、ホストやホステスが住んでいるようなおしゃれ?なマンションだった。

[ad]

朝帰りのホストが香水プンプンしてエレベーターに乗り込んで、むせかえったこともある。場所柄そういう夜商売の人が多かった。Oさんは、の荷物は少なく、必要最小限の物しか持たないというライフスタイルだった。だから簡単に引っ越しができる。しかし家具は、10万円もするという家具もあったりして、こだわりのライフスタイルは変わらなかった。そんな高級マンションを何度か変えていた。1階にフロントが常駐しているような高級マンションで、相変わらず独身貴族を満喫していた。その豪華趣味は成功者の証だったとも言える。

[ad]

引っ越し好きのOさんは数年経つと、気分で同じような高級マンションに引っ越した。税金対策もあるが、軽々と新宿をいとも簡単に引っ越すという気軽さは、その当時、お金持ちという印象しかなかった。だからこの時期はよくOさんに連れられて、一人では絶対に行かない高級店によく連れられておごってもらっていた。自分はグルメではないし、メニューをみてもさっぱりわからなかった。だから注文はOさんにお任せ、出てきた料理を食べるだけだった。自分でいうのもなんだが、自分ほどこだわりのない味覚音痴?な人間はいない。一方のOさんはグルメで日本酒が好きという生粋のグルメだった。

[ad]

だから、こだわりの焼き鳥と日本酒という基本的コンセプトで、今まで商売できたのだろう。そういう強い信念とコンセプトがなければうまくいかないのだ。この成功を地元北海道の田舎では、不思議に思っていた。「たかが焼き鳥だろ?」「新宿で焼き鳥?」「どうせ安い焼き鳥とお酒を出す店だろ?」「どうせ失敗するのに決まっている」「一串500円?」と焼き鳥屋で成功するなんて、あり得ないと親戚中の皆が噂していた。Oさんは北海道美●市という田舎に住民票を置いていたので、確定申告の時、納税額がケタ違いなので田舎の税務署をビックリさせた。なぜ?都民じゃなかったのか?地元に貢献したいという願いがあったのだ。

[ad]

そういう田舎への想いがあった。どうせ税務署に税金で取られるのだから、豪遊?しようという事で、北海道の親を旅行に招待した。新幹線に乗り、博多に行ってグルメツアーを観光した。田舎の両親は、毎日働き続けるという当たり前の労働者だった。贅沢を一度もせず、ただただ働くだけのそんな人生だった。だから、地元から離れたことがなく、旅行などめったにできなかった。そんな親への感謝も含め、親を旅行に連れて行った。ただこの前後から、実弟とは話がかみ合わず悩んでいた。実弟は本家の財産と親の財産を独り占めにしようと企んでいた。この弟に関して、私は何度も何度も聞いていたので、その弟の実情を書いていこう。生活は無職で親の年金を横取りして暮らしていた。

[ad]

実家に同居しているという理由で、親の財産を「自分の所有物」としていた。Oさんは長男だが、東京に出てきてからと言うもの30年近く実家には定着していない。弟が実家の跡継ぎという事で、のこのこと実家に舞い戻って来た。「土地を耕して農作物を造り父の手伝いをする」という名目だった。実家には、弟と妹の3人がいた。Oさんは当初高齢の親への仕送りをしていた。両親のために仕送りをして、親の面倒を見るという約束で毎月社員と同じ給料を振り込んでいた。この生活費が全部弟に握られていた。実家住まいなので、家賃もない、だからいろいろ遊ぶことができた。毎日、なにもすることのないので、弟は毎日パチンコ屋に出かけていた。朝パチンコ屋に入り浸り、戦績により帰る時間はまちまちだった。近所では有名な人物だった。

[ad]

夜は地元スナックに行くというルーティーンを過ごしていた。この頃は、両親も実家に生活していた。しかし弟と父は馬が合わなかった。弟は父に虐待を始めたのもこの頃からだ。ささいなことで風呂場に父を連れ出し、張ってある水に父の頭を力ずくで沈めたり、蹴ったり、殴ったりした。日常的に親に暴力をしていた。終いには、電気代がもったいないと言う理由で、暖房を使わせなかった。ご飯を抜かれて食べさせてもらえなかったりした。こんな過酷な状況を知ったのは、妹からの報告だった。親の顔を見に、時々実家へ行っていた。その時の父の様子が変だった。

[ad]

元気がなく、なにかに弟に怯えているようだった。顔に痣があり、それを問い詰めると「農作業でケガをした」と言った。これはおかしい?その時の異変をOさんに電話で話していた。そしてOさんは、父への虐待で弟を問い詰めたが、のらりくらりと逃げた。頭に来たOさんは、時間を取り、実家に行き弟と話し合った。「なぜ父を虐待するのか?」弟の言い訳は酷い物だった。「兄はいつも親から贅沢をさせてもらっていたのに、自分だけ損をさせられた」「昔は兄にお古ばかりで嫌だった」「自分は親から可愛がられていなかった」という。まるで子供のような言い草で、終いには泣き出す始末だった。

[ad]

だから父に虐待してもいい理由にはならない。常識的な判断ができないほど、おかしくなっていた。虐待をやめるように命令し、辞めないなら生活費を出さないと宣言した。すると逆上した弟は殴りかかってきたそうだ。お金が絡んでくると怒り出すというわかりやすい反応だった。それ以後、Oさんは、「これ以上、実家に父がいたら、気の狂った弟に殺されるかも知れない」と判断し、父を実家から半ば無理やりに引っ越しをさせたのだ。父は当初困惑していた。なぜ自分の実家を離れなければならいのか?悲痛な思いがあっただろう。Oさんも、なぜ大黒柱である父が実家を出て、弟に渡せなければならないのか?そんな憤りを感じていた。

[ad]

もはや実家は弟に乗っ取られたも同然だった。父が引っ越したと同時に弟は、母と役所に出かけ、父との離婚届けを役所に提出した。役所の人はなんの疑問を持たずにそれを受理した。70歳を越した両親がなぜ?離婚する理由などなかった。これもどこからか知恵をつけてきた実弟の悪だくみだった。認知症を発症していた母は、弟に言われるがままに離婚手続きにハンコを押した。認知症と言う都合のいい老化現象を利用した。そして完全に実家は弟の物となってしまった。しかしまだ問題は残っていた。兄弟二人がやっかいだった。