【天国と地獄】実録ふつう人のおっさん伝 6 注目すべき人々との出会い

代々木の半地下の店舗に、新規オープンしたダイニングキッチン焼き鳥と日本酒が飲める店「とりや」をオープンした。オープン前には、友人を集めシュミレーションをした。ただ酒と比内鶏の焼き鳥が喰えるので、腹いっぱい食べて飲んだ記憶がある。店内はカウンター席が10、テーブル席が3というこじんまりした店だった。厨房は狭く巨漢の大西さんは、汗だくになりながら、テキパキと狭い厨房を動いていた。

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福島出身の焼き長が奮闘していた。以外なことに?場所的によかったのか?続々と新規のお客さんが来て、そのお客さん達は確実に定着していった。その中には、著名人も数多くいた。名前をあげると極楽とんぼ、スマップの慎吾君、めちゃいけの武田真治君、加藤登紀子さんとその主人、ちびまるこちゃんの声優陣たち、吉本興行の今田コウジさん、ルナシーと覚えているだけでも数々の芸能人がとりやに来店したらしい。

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「サインもらえばいいのに」と私が言うと、「そういう三流店なことしたくない」と言います。カフェバースタイルの大人の隠れ家的な店で、静かに焼き鳥を食べて、美味い日本酒を飲み、静かなジャズが流れる落ち着いた大人がくつろげる雰囲気をコンセプトに作られた店が、「とりや」だった。それ以前の焼き鳥屋のイメージ、常識を変えた人が、Oさんだった。私はコレを言いたかった。なんでも最初に開拓、発明する人は天才だ。それまでの常識を変える勇気と熱意は冒険だからだ。このコンセプトが成功するか?しないか?前例がないから、そこにお金を投資する勇気はなかなかないものだ。口ではエラソーに言うが、現実に実行する人は少ないものだ。

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約30年前の焼き鳥屋は、安酒を飲んで安い外国産の焼き鳥を100円くらいで食べて、客単価が1000円から2000円関の山だった。だから薄利多売に走り、なんだかよくわからない外国製の冷凍焼き鳥を解凍して、それを焼いて、濃い調味料でごまかし、それを出していたのだ。それが当たり前の時代だった。焼き鳥は庶民の安い料理と一般的な常識で考えられていた。この時代に彼は焼き鳥のブランド化をしたのだ。あえて輸入焼き鳥を使わず焼き鳥の高級食材、比内鶏に目をつけた。その後の焼き鳥屋はとりやを追従することになる。

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そして日本酒のこだわり、店内の音楽はジャズ、間接照明にしてくつろげる雰囲気にした。このコンセプトは、以後ヒットし、マネをする店も続々と現れるようになった。この彼のコンセプトが当たり、連日連夜お客さんは途切れることなく、いつも満席状態だった。客単価は4000円から15000円という高めの設定だったが、場所柄富裕層や一流企業があったおかげで、グルメの舌の肥えた人たちが来店した。またグルメを唸らせるくらいの比内鶏のメニューの数々と他店では出さない日本酒だった。焼き鳥の盛り付けの斬新さも、彼のこだわりのアイデアが生かされた。焼き加減を半生にした料理に、天然わさびを付けて出す焼き鳥は、グルメなお客をうならせた。生の焼き鳥も出して、舌でとろけるようなメニューも大人気だった。

つづく