人生の短さ・・・毎日が最後の日

古代ローマの哲学者の人生の短さに
ついてご紹介いたします。

今から約2000年前に書かれた名作中の
名作でございます。

すごく簡単に言うと、仕事や雑務に
追われていない怠惰な生活を
していたりすると
人生は実に短く儚いものになってしまう。
それは何あなたをとてつもなく後悔させ
苦しめる、だから気をつけてください。

というお話です。
実話古代ローマの人々も現代の我々と
同じようにあっという間に
終わったとかもうこんな年になったと、
過ぎ去って行く時間の早さを嘆いたり
だらだら過ごしてきた時間を悔やんだり
しながら生活をしていました。

もっと時間の使い方考えた方がいいよ。
人生って本人の過ごし方次第で
もっと長く充実したものにできるんだ。

当時の時代背景作品の中身として
セネカの人生という3つのテーマに沿って
お届けして参りたいと思います。

有名な絵画にもセネカが描かれています。
数名の男達に囲まれながら、ほぼすっぽんぽんの
状態でに入っています。

彼は一体何をしてるんでしょうか?
答えは、後半にあるクライマックスを
あたりでお伝えします。

時代背景について見てまいります。

彼は今から約2000年前古代ローマ
活躍した政治家であり、代表的なストア派
哲学者としても知られている人物であります。

ストア派というのはストイックという
言葉の語源にもなっているのですが、
禁欲主義を特徴とする哲学の学派のひとつです。

彼が生まれたのは今のスペインにある
騎士階級の大変裕福な家庭でした。
そして少年時代にローマに移り住み、そこで
修辞学や哲学を学び、30代の時に財務官となって
政治の世界に入っていきました。
要するに実家は、お金持ちで真面目に勉強し
官僚になるという典型的な出世コースを
歩んだわけです。

どうせセネカの人生はさぞかし
順風満帆だったろう?と思われるかもしれませんが
全くそうではありません。

弁論術に長け、演説があまりに美味すぎる
というわけで、時のローマ皇帝に嫉妬され
殺されかけたり、宮廷内の陰謀でコルシカ島
いう島に追放されたりと、何かと理不尽な
運命に翻弄されるのです。

ちなみに島流し流刑というのは社会的身分が
剥奪される。ある意味死刑に匹敵するレベルの
刑罰と言われています。
しかし、そんな中でもセネカは腐ることなく
むしろコルシカ島という自由な環境で、
のびのびと学問や著作の執筆など自分が
やりたかったことに打ち込んだとされて
います。

そして島で暮らし始めてから8年が経過
しようとしていたある日のこと。
どういうわけだか、彼はこの重たい刑罰を
解かれるのです。
「今すぐ島から出て、ローマに戻って来い」と
国の偉い人から声がかかるのです。

何事だと思ってローマに戻るとセリカ
待っていたのは、なんとローマ皇帝皇后でした。
なんか裏でもあるんじゃないか?と
ちょっと警戒します。

すると皇后アグリッピーナは言います。
「お前の時ローマに戻してやるよう手を
回したのはこの私だ。それを理解した上で
今から話すことをよく聞きなさい。私は
我が子を何にしたいと思っている。
だが、私の前の旦那との子供だ。つまり、
今のローマ皇帝の養子という形には
なっているがそこには血の繋がりはない
このままいけば皇帝は、前妻との間に
生まれた実の子供を後継者として選ぶだろう。
そうなれば我が子はおしまいだ。
ならば、私はどんな手を使ってでも自分の子に
応えなければならない。子の母の気持ちが分かるか?
するからお前の優れた知恵と人望が
必要なんだ力を貸して欲しい」
とまぁこんな感じで説得されて、彼は
しぶしぶ少年の教育を引き受けることに
したわけです。

その時セネカは49歳。これ以上政治の世界で
泥臭くバリバリやるより哲学の世界に、
没頭して余生を楽しもうと思っていたのです。
にも関わらず政治利用のために、しょうもない
重責を負わされ、貴重な時間を奪われてしまった
というわけです。

そして、ちょうどこのストレスフルな状況の
中、執筆を始めたのが本日ご紹介する
人生の短さについて
という作品なのです。

そして、セネカの教育とアグリッピーナ
策謀によりその少年は16歳という若さで
ローマ帝国の第5代皇帝として即位します。

これが後に、暴君としてその名を歴史に刻んだ
ネロ将軍です。
学校の教科書にも必ず出てくる悪名高い
皇帝ですね。

ちなみに教育係だったセネカは執政官という
事実上世界のトップの地位まで出世し、
皇帝ネロの補佐官という役割を担うことに
なりました。

皇帝即位後も務め、彼は持ち前の能力を
遺憾なく発揮し、若き皇帝を支え続けました。

その甲斐あってか、初めの数年間ネロは
ローマ帝国の皇帝としてリーダーシップを
発揮します。

その結果、ローマ帝国の領土最大規模まで
広げた名君トライアルステイでも及ばないと
言われるぐらいの素晴らしい知性を築いたのです。

ところが即位から5年ほど経過したあたりから
皇帝ネロの様子がおかしくなります。
なんと誰の手にも負えないサイコパスモンスターに
豹変してきたのです。

自分の妻、そして母であるアグリッピーナの命を
奪い、一説によればローマに火を放ち、
キリスト教徒に罪をなすりつけ
大迫害を行うなど非常に残虐な圧制を
行ったとされています。

そしてセネカはそんな皇帝ネロを見限るように
して事実上政治の政界を引退し、
そこからようやく自分のやりたかった哲学の
世界に没頭し始めるという。

背景がどういう人物で、どういう時代を
生きてきたのか、イメージいただけた
でしょうか?

次に人生の短さについてを1点押さえて
おかないといけない。

結論から言うと、この作品はある友人に向けて
書かれた手紙であるということです。

当時のローマ帝国というのは自給自足が
難しかったので国家主導で小麦を輸入し、
国民に無償配給するというシステムを
とっていました。

言ってみれば、小麦版ベーシックインカム
みたいなことを国家事業としてやって
いたのです。

デパウイルスという人は、その穀物管理事業の
責任者でした。つまり仕事バリバリの
お偉いさんです。

そんな彼に向けて「ネロの教育係をやっている
ようだが、君は働きすぎだから休んだ方がいいよ
引退して好きなことした方がいいよ」と
忠告をしているという設定の作品なわけです。

お互い様じゃないですか?
と言いたくもなりますが、友人へだけ
じゃなくて自分自身に対する戒めの意味も
込めてこの手紙を書いたのでは?という話も
あります。

では早速友人に当てたセネカの手紙を
覗いてみましょう。

多くの人は、
「こんな恨み節を言う人生って奴はなんで
こうも短いんだ?時は残酷なほどあっという
間に過ぎ去りさあこれからだって思った時
にはもうタイム終わりだ」
実は医学の父ヒポクラテス哲学者
アリストテレスといった賢者たちも
例外ではなく皆が皆同じように
時の速さ人生の短さを嘆いていた。

全く自然の摂理に対して、文句を言うなど
私には正直理解ができない。

そもそも人生とは短いものではないのだ。
我々は皆偉業を成し遂げられるほどの
十分な時間を等しく与えられている。

それを短く感じるというのはただ時間を浪費
しているからに過ぎない。
例えば莫大な財産だって金の使い方が
わかってない人間の手に渡ればあっという
間に無くなるだろう。
人生の時間もそれと同じなんだ。
正しく使うことで十分ゆとりを持った人生に
変えることができる。

しかし多くの人は、果てしない欲望は誰かに
評価される欲求にとらわれ、媚びへつらうことで
時間を消耗させてしまっている。

例えば、想像してみて欲しい。
自分の土地や財産が理不尽にも他の誰かに
侵害されたら、あなたはどんな行動するだろうか?

武器を持つなりして、どうにか抵抗して
必死でそれを守ろうとするだろう。
誰だって自分の財産を他人に喜んで差し出す
はずはない。
なぜ人は自分の時間という財産に限っては
こうも簡単に他人に差し出してしまうんだ?

お金に関しては無駄遣いはしないという人でも
時間となると平気で無駄遣いをする
同じ財産であるにも関わらず実におかしな話だ。

要するに土地やお金を持っていようが無駄遣いを
し続けたら貧乏になるように、人生の時間を
浪費すればそのぶん短くなるのは、
当たり前だろうと言ってるわけです。

そして、ここで言っている浪費というのは、
欲望に溺れること、バタバタと仕事に追われること
怠惰に過ごすこと、他人の目を気にして神経を
すり減らすことなどです。

耳の痛い話です。
ちなみにセネカは、自分が持つすべての
資産を国に寄付することを交換条件として
皇帝ネロに引退の交渉をしたとされています。

時間という財産を他人に差し出すな
というセネカのメッセージは彼自身の行為た
勇気ある行動からも伺い知ることができます。

これまで自分のためにどれだけ人生を
使ってきたか?そしてどれだけ他人に
自分の人生を掠め取られてきたから
一つ一つ振り返ってみて欲しいどうだろう?

自分が天寿を全うしないうちに、もうすでに
死にかけていることに気付かないか?

じゃあナゼ多くの人は、そんな状態に
陥ってしまうか?

「自分は永遠に生きることができる」と
勘違いして生きてるから。だから
どれだけ自分の時間が失われたか?
気にも留めない50歳になったら
今の仕事を辞める60歳になったら
今の仕事から解放されるなどと言っている。
人間がいるが、そもそも長生きできる
ことに取り掛かるのでは手遅れだ。
丹念に計画を練り上げ、そして老人に
なるまで行動を起こすことを先送りにする。
死すべき運命を忘れた愚かな行為だと
思わないか?はっきり言うが無意味ですが、
君のような生き方をしていると人生は
たとえ1000年あっても、まだ足りないと
感じるはずだ。多忙な人間が、何よりな
おざりにしているのが生きるという
最も学びが大事だ。それ以外の学問なら
いくらでも教えてくれる人はいるだろう。
しかし、どう生きるか?死ぬか?こういったこと
については誰も教えてくれない。
自分自身が一生かけて学んでいかないといけない。
人生の長さとは、自分の時間をどれだけ
自分のためだけに捧げたかで決まる。
だから寸暇を惜しみ他人に支配されることなく
一日一日を人生最後の日のように過ごして
ほしい。バタバタと忙しくしていたら
人生は急ぎ足で去っていく。
そしてやがて、死が訪れそして
自分が好むと好まざるとにかかわらず
死ぬための時間と向き合わないといけない
人生というのは止まる事のない、
急ぎ旅のようなものだ。
本人が起きてようが、寝ていようが
同じ速度で進行し何かにうつつを
抜かしているとあっという間に終点だ」

専門家によるとセレカの時間に対する捉え方
というのは大きく2つあると言われています。

1つは時間を浪費してはならないと
いうこと。
これは先ほど時間は財産なんだという
話からわかると思います。

そしてもう一つが、
若い時期を無駄にしてはならないという
ことです。

やりたいことがあるのに
それを5060歳とか人生の後半にずらすな。
と言っていましたがまさにここです。

人の命は選んではないし、いつ死ぬかも
わからないのに、そんな人生が一生続くかの
ような行動とってはだめだ。
若い時ほど時間を節約し、そして自分のために
使うんだとセネカはそのように教えて
くれてるわけです。

人生というのは、3つの時期に分けることが
できる。
過去、現在、未来だ。
現在は一瞬で過ぎ去り、未来は誰も予測が
できない不確実なものです。

その一方で、過去は動かしようのない
運命の力が及ばない特別な時間だ。
だがどうだろう?大忙しの人間は、その
特別な時間である過去まるで存在しない
ものかのこと無視する。
それは忙しい彼らに過去を振り返る余裕が
ないのも理由の一つだが、それだけじゃない
過去に起こった嫌な出来事に目を向けたくない
という気持ちは少なからずあるはずだ。

傲慢な態度をとってきた人。
法に背くような行為を行ってきた人
無駄にダラダラと時を過ごしてきた人
こういった人にとって
ことはただただ恐ろしいものでつい目を
そらしてしまう。

しかし確かなことは、私たちが持つ時間のうち
唯一運命に支配されない神聖な時間です。
欲望や不安や病気に悩まされる心配もない、
何かにかき乱されることも、誰かに奪われる
恐怖もない過ぎ去った時間とは?
すなわち、私たちが選んだ時間は一瞬であるのに
対し過去は、そのすべてがあなたの所有物となる
そして好きな時に、好きな量を取り出して
それをじっくり眺めることができる。

しかし多忙な人間にはそれが出来ない。
過去をじっくり振り返る機会を持たない。
人生というのはあっという間に過ぎ去り、
深い闇の中に消えていく。それはまるで
そこがない容器に水を注ぐが如く
いつまでも満たされることはない。
たとえどれだけの時間を与えられようとも。
自分の心の穴や裂け目から零れ落ちていくのだ。

現在という時間はとてつもなく
短い短すぎて時間が流れてることにすら
気づくこともできない。

不安定で流動的で一瞬で、過去という時間に
置き換わっていく。
天空の星々は大麻の進行により一瞬たりとも
同じ位置に止まりはしない。
時間もそれと同じように絶え間なく流れ続け
誰もそれを繋ぎ止めることを許されて
いないのだ。

にも関わらず多忙な人間というのは、
そんな身近すぎて捕まえることの出来ない
現在しか関心を持たない。
いや余りの雑事に追われ、その現在の生活
を奪われてると言って良い。

しかし、そんな世界から距離を取り、
自分のために時間を使える人間というのは
長く充実した人生を手に入れることができる。

それゆえ最後の日が訪れても、その人は
しっかりとした足取りで、ためらうことなく
死へと歩み寄ることができる。

過去を振り返らないから人生に対して
短く感じてしまう。
というのは面白いですね。

ちなみに彼の哲学はストア派と呼ばれる
各派の一つですが、この学派は自らを
省みることない性を特に重要視します。

自分の過去をゆっくり振り返る。
時間を持てないほどの多忙をセネカ
ものすごく避けたわけです。

「私は哲学に時間を割く人間こそが真に
生きている人間なのだと思っている。
なぜなら己の時間己の人生を守るだけでなく
過ぎ去った時間もしっかりと蓄えている
哲学者は崇高な思想体系を築き
私たちに生きる道を教えてくれている。
書物によってどんな時代の叡知にも
気軽に手を伸ばすことができる
ソクラテスやダグラスデモクリトス
アリストテレスこういった偉大なる
賢者たちは、私たちに対して今は忙しいから
帰ってくれなんてことは絶対に言わない。
それどころか、訪れたものを着た時よりも
必ず幸せな気持ちにしてくれるし、
人生が終わる最後の瞬間までどのように
過ごすべきなのかを教えてくれる。
そして自分たちが過ごした歳月。
お手土産として私たちの時間に積み上げてくれる
そんな偉大なる賢者を友人とし、自分自身を
人生の主人として過ごして行くならば、
あなたに待っているのは最高の晩年だ。
しかし、過去を忘れ現在を無視し未来を
恐れるものは極めて短い不安だらけの
人生を歩むことになる。哀れにも彼らは
自分たちが長い間、何も意味もなくただ
多忙によって時間を過ごしてきたのだと、
死と向かい合った時に気付かずだ。

要するにどこにでもドアが開いて
あるんだから過去の偉大なり
どんどん会いに行ったらどうですか?
彼らを人生のメンターにしない手は
ありません。

また人間の死というのは、心の準備が
整っている時にやってくるわけじゃない
今ですか?というタイミングで急に行ってくる
ことだってあるわけです

その時に、あーなんて自分はもったいない
時間の過ごし方をしてしまったんだろう?
後悔してからじゃ遅い。だから偉大なる
賢者達とじっくり対話をしながら自分が
どう生きたいのか?どういう最期を迎えたいのか?と
腰を据えてじっくり考えてみたらどうですか?と
提案されてるわけです。

彼は本書で読書をするなら良書を選びなさい
と言います。
特にギリシャローマの古典は全く外れが
なくすべて良書です。
間違いないと言っていましたが
まさに今の話に通じるところではない
でしょうか?

こういった流れの中で、セレカは穀物管理の
責任者をしている友人に「引退せよ」と
忠告します。
「君は十分すぎるほど荒波に揉まれて
きた。そろそろ安全な港に避難してもいい頃
合いじゃないか?君には人徳があるし、
それは誰もが認めている。ならばその時
お仕事ではなく、自分のために使ってみたら
どうだろう?私は何もたいだとか退屈な生活を
勧めているわけじゃない。
君のその持ち前の活力を闇に葬るために
浪費するなどもってのほかだ。私はただ
休息を冷たくてこの手紙を書いてるんじゃない。
職務から離れ、穏やかで自由な生活を送れば
今まで精力的に取り組んできたことよりも
ずっと大切な仕事の存在に君は気づくはずだ。
と私はそう言いたいんだ。君がどれだけ真面目で
堅実で良心的に仕事をしてきたかはよく
分かっている。ただ私を信じてほしい。
穀物管理のあり方よりも、自分の人生のあり方を
知ることの方が、人間にとって大切なことなんだ。
君は確かに名誉ある職に就いているが、
それが君の幸せな老後を保障してくれるもの
ではないだろう?なら君のその優れた能力と
活力をもっと大切なことに使うべきだ。
若い頃からずっとが徳を積んできたのは
今君がやってるような膨大な穀物の安全管理を
引き受けるためだったのか?
いやそうじゃないだろう?君はもっと重要な
もっと立派なことのために志を立てたはずだ。
由緒正しいサラブレッドに重たい荷物を
運ばせ、その瞬足を封じるが?一体どこにいる
君にはもっと神聖で崇高な仕事が待っている。
だから今こそ旅立ちの時だ。君に暖かい血が
流れてるうちに力強く踏み出すべきだ」

実際には、もっと皮肉たっぷりで刺々しい表現も
あるのですが、時間の関係でだいぶ
飛ばしております。

最後に引退後のセレカの話をして
終わりたいと思います。

彼が皇帝ネロに政治界から引退しますと
辞表を突きつけたのが、ある61歳
そして亡くなるのが64歳です。

せっかく全財産を投げるって引退したのに
ちょっと早すぎないかと思ってしまいます?

実はこれ寿命によるものではありません。
暴君ネロによって自害を命じられたのです。
彼はこの世を去ることになるのです。

なんでそんな事になってしまったのかと
言うと、事の発端はネロの圧政に耐えかねた
男たちが起こした皇帝暗殺計画の失敗です。

密告者が出たせいで、何もできずに
この計画は終わったのですが、最悪なことに
ネロはこの計画にセレカが絡んでるん
じゃないか?と疑いをかけたわけで
ハチャメチャなことばかりネロはやって
いましたから自分がいつ殺されても
おかしくないと極度な疑心暗鬼になって
いたのです。

そこで彼は、ついに自分を育ててくれた
恩師セレカまでも疑い、自ら命を絶つよう礼状を
出し、そして彼の家に兵を送り込んだわけです。
「お前がここにいるのは分かっている
今すぐ出てこい」
するとセネカが姿を現します。
何事だと?するところですが
武装した計画に加担した疑いにより、
自害を命ずる。セレカは決定事項を言え免れる
ことはできない。大人しく我々に従ってもらおう」
セネカの周りには弟子や仲間たちがいました。
しかし、あまりにも突然すぎる状況に
誰一人言葉も出ない。
恐怖で動くこともできません。
そんな中セネカは毅然とした態度で
こう言いました
「わかった命令に従うただ残された者たちの
ために遺言を書きたい」
しかし軍隊長は
「ダメだ。お前には自ら死を選ぶこと以外の
選択肢はない」
セレカは自分の周りを取り囲んでいた友人や
弟子たちを見つめ穏やかな表情でゆっくりと
語り始めました。
「君たちに感謝の言葉を残したかったんだが
どうやら時間が来てしまったようだ。
ならば今私が持っているものの中で
最も美しいものを君たちに残していく。
それは私が今こうして生きているという姿だ」
セネカは自分の目の前に突然現れた子に対しても
一切恐怖を見せることなく悠然と構えていました。
それどころか自分のために泣き沈んでいる
中で恐怖で震える弟子たちを気遣い励まし、
そして語り続けます。
「君達何泣いてるんだ?気をしっかりと
共に学んできた哲学の教えはどこへ行ったんだ?
こういう不良の災に備えて長年心の訓練を
知り備えてきたじゃないか」?

セネカはその後、何をしたかというと
まず刃物で手首や足といった
太い血管が流れている場所を切りつけ
出血死を試みたんです。
ところが高齢であることと、食が細かったことに
よって死に至るほどの出血にはならなかったのです。
そこで彼は激痛に耐えながら友人の医師に
毒薬を持ってきてくれと頼みます。
この毒薬というのはヘムロックと言って
大量摂取によって呼吸困難や神経麻痺などが
起こるとされているのですが、
ソクラテスもこれによって自ら命を絶っています。
そしてセネカソクラテスと同様に毒杯を
飲み干すのですが、希望通りに死に至らない。
動脈を切ろうが、猛毒であろうが運命が
セレカを拒絶しようとするです。

彼はそんなこともお構いなしに、
毒が効かないんだったら、「熱湯を用意しろ」と
言ってその中に身を投じ。
ようやく息を引き取ったとされています。

この衝撃的なラストシーンにセネカ
行き方や彼の哲学が象徴されている
とされ17世紀以降ヨーロッパの多くの画家が
彼の死をテーマにした作品を残してるのです。

バロック美術を代表する天才画家
ルーベンスによるセネカの子という
タイトルの作品です。

そして彼の死から約30年たってようやく
ローマ帝国は混迷の時代を脱出し、
平和と繁栄の時代に突入します。

本日はセネカの代表的著作である
人生の短さ について、とその歴史的背景や
彼の生涯まで幅広く紹介をさせていただきました。

実際に作品に触れてみてください。
偉大なる賢者との時間は何物にも、
代え難い財産になるはずです。

最後までありがとうございました。