伊勢崎町の松屋が閉店したあの頃 昔、路上ライブしていたゆずがいた。 

ここでゆずが誕生した場所

140年続いた伊勢崎町の松屋が閉店するという。 伊勢崎町はかつてブルースの全盛期だった頃、知っている人は少ないと思うが、青江美奈という歌手がいて伊勢崎町ブルースで一世を風靡したものです。

もちろん自分が小学生の頃ですから、色気のある声と容姿に子供心にぞくぞく来るものがありました。今では石碑があり、手をかざすと「みなとよこはま~」とブルースが流れてきます。

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かつての栄華は失われつつも、まだまだ普遍的な形に変容して独特な街になっています。以前川崎に住んでいたときには、銀柳街というものすごく「川崎だな」という垢抜けない感じがありましたが、私自身好きな街でした。

伊勢崎町も似たようなものかも知れませんが、どこかおしゃれで海を感じさせる街なのです。川崎は潮風をまったく感じませんでしたが、関内、桜木町は潮風を感じます。海が近いので当たり前ですが・・・・・・ そこには、街空間に余裕があるのです。東京は空間に余裕がない。空気が停滞しているのです。 お台場とかは違うのでしょうが、都市計画上の人工的な街で想像力が沸きません。

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伊勢崎町に住んでいるのは、日本人ばかりではありません。多国籍が多く住んでいます。アジア系が多いのですが、ロシア美人も普通に歩いているような町で、夜になればカラス族という連中も穴から出で来るし、ブランド物のバックを持った出勤する女性がいたり、おもちゃ箱をひっくり返したような人種がうじゃうじゃいます。 たとえ話さなくてもいいのです。こう奇妙な感じがすきなのです。

人によっては、怖いとか言うかも知れません。確かに怖い場所です。人知れず死んでいる人もいるのです。それは事件にはならないような、原因不明な死もあります。ですから、安全な街では決してありません。夜はそれなりに歓楽街特有の危険な匂いを漂わせるのです。

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松屋はゆずが路上ライブをやったことでも有名な場所です。松屋の壁には小さくゆず路上パーフォーマンス発祥の地とあります。いまでも、ギターとかエレクトーンとかバンドとかストーリートパフォーマンスをする若者は多いのです。

しかし時代の流れは残酷なものです。景気が悪くなると小売業ばかりか、経済全体に波及しますからね。私たちのサービス業もしかりですね。景気が悪くなると買わなくなるし、消費を我慢しますからどんどん景気が落ち込みますからね。

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長い歴史を伊勢崎町の歴史を見てきた松屋は終わろうとしています。松屋のエレベータは見ものです。年代物で階層が光るのでなく、時計のように針が傾くのです。これは待っていて楽しいものです。

悲しいのは、日本にはこうした歴史的建造物は次々と壊されていきます。焼け野原になった経験から日本人は新たに作ればいいじゃないかというような感覚なのだと思います。