【天国と地獄】実録ふつう人のおっさん伝 3 注目すべき人々との出会い

Oさんには、目標があった。それは、飲食店を経営することだった。新宿のビジネスホテルと渋谷にあるノーブルというホテルの2か所の掛け持ちで、ラブホテルとビジネスホテルのアルバイトをやっていた。新宿のミラベルホテルの夜勤を終えて、渋谷のノーブルというラブホテルの昼勤をするというハードなスケジュールだった。そんな過酷なスケジュールを3年も続けられたのは、まじかに迫る飲食店の経営という夢だった。その夢に向かって彼は邁進していた。そして目指す資金をつくることが目標だった。徐々に自営の道筋が付き始めていた。当時の彼は30代後半だったので頑張れたのだろう。

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私が出会ったのは、そんな彼の分岐点の時期だった。ホテルの仕事はチェックインとチェックアウトの仕事だが、夜勤のフロント仕事をOさんに教えてもらった。プロのホテルマンのOさんと、ただの未経験のアルバイトの自分では、その知識量の幅が全然違っていた。それまで接客経験が皆無だった私は、サービス業の入り口のフロント業務は新鮮な体験だった。その後サービス業を経験しくいく中で、この時は重要なターニングポイントだった。そしてサービス業のノウハウをイロイロ教えてもらった。

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だからサービス業における師匠とも言えます。木村さんという夜勤専門が辞めたため、その代わりの募集だった。それまでのアルバイト経験で、1日、3日で辞めるが習慣になっていて、1か所に長続きすることがなかった。だからアルバイト先で親しくなるということは絶対になかった。このホテルは違っていた。基本的に一人勤務なので、気楽と言えば気楽だった。場所も新宿5丁目という立地で、飽きさせることのない職場環境だった。遊びには興味なかったが、新宿、歌舞伎町を行き来するのは、それなりにワクワクドキドキ感があっていつも緊張していた。それからOさんとの関係がこれ以降20年近くなるとは、思ってもみなかった。

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当時の私と言えば、フリーターでブラブラ遊び歩いてヒマを持て余していた。遊びの限りを尽くし毎日遊び惚けていた私は、生活費が無くなると、わら半紙のような日刊アルバイトニュースとフロムエーでアルバイトを探すという毎日だった。そんなテキトーに20代を遊び呆けていた。そんな私だったが、21歳の時知った変な宗教団体に没頭してしまった。新宿落合にある心霊●学協会という財団法人の奇妙な団体だが、この団体に入信してしまった。毎週水曜日は霊能者の先生が来ていたので、欠かさず水曜日は出席していた。

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だから、まともな就職ができなかった。ここの会員?信者の多くはお年寄りで、私は完全に浮いた存在だった。20代という人間の一番輝ける時期を新興宗教にハマってしまうと、その後地獄を見ることになる。それは現在の自分を見れば一目瞭然だ。しかし?なぜかこの団体が心地よい空間に思えていた。今考えれば、人生をここで大損してしまったと後悔している。この時の私生活は、心霊●学協会とミラベルという生活スタイルだった。芸術活動もあったので毎日忙しい日々?を過ごしていた。だが、金にならないことばかりで、いつもお金には苦労していた。社会状況はバブルだというのに、自分と芸術家の仲間たち社会から、取り残されているような感じだった。

つづく