水で変わる体質と健康

世界の中でも日本は水道水が安全に
飲める国といわれているが、
そもそも、日本の飲料水はいつの時代から
どのようにして発展してきたのだろうか?

 
ということで今回は、わが国の飲料水の
歴史について調査してみました。

生活水はどうやって発展してきた?

 飲料水の歴史について、
日本大百科全書(ニッポニカ)』
小学館刊)によると、そもそも人類は、

「湧泉や河川、湖沼などのほとりに住んで、
これから生活に必要な水を得ていた。
やがて井戸掘り技術が生まれて、
地下水の利用が可能となると、
水辺から離れて生活できるようになり、
大いに生活圏が広がった。

しかし都市ができて大勢の人が集まると、
地下水では量的にも間に合わなく
なってくるし、水質的にも危険となる。

そこで良質の湧水や河川水を遠方から導いて、
水を確保する必要が生じる。

有名な古代ローマの水道も、江戸の
神田上水玉川上水も、
このような経過をたどって作られたものである。」
とある。

つまり都市生活が発展したことによって、
生活水も井戸から上水道へと進化してきた
ということらしい。

東京の水道は徳川家康の時代に造られた
東京の水道の歴史は、実は江戸時代まで遡る。

 東京都水道局のHPによると、
「江戸時代の水道は、上水とも呼ばれ、
石や木で造られた水道管(石樋・木樋)
によって上水井戸に導かれ、
人々はそこから水をくみあげて
飲料水・生活用水として使用したと、
いわれています。

江戸上水の起源は、天象18(1590)年、
徳川家康の江戸入府時に開設された
小石川上水であり、後に神田上水へと
発展したと考えられています。

その後、上水は順次拡張され、
承応3(1654)年には玉川上水が建設され、
さらに元禄9(1696)年までに、
本所(亀有)、青山、三田、千川の
各上水が整備されましたが、
享保7(1722)年、神田・玉川両上水以外の
4つは廃止され、江戸時代後半は、
主に神田と玉川が江戸の暮らしを
支えていました。」
とある。

東京各地に「○○上水」という地名があるが、
それらはすべて、この昔の「上水設備」
からきているのであった。

日本初のミネラルウォーターは炭酸水だった

では、日本国内でのミネラルウォーターの
登場はいつになるのだろうか?

日本ミネラルウォーター協会によると、
1880年代にスパークリング
ミネラルウォーター(天然炭酸鑛泉水)
が瓶詰めされ、横浜・神戸の居留地
外国人やホテルに提供されていたという。

「文献によりますと、明治年19(1886)には
『三ツ矢平野水』(川西市平野)が
『三ツ矢印平野水は天然炭酸を含める
東洋唯一の純良鑛泉なり』とラベルに
銘記し瓶詰・販売されていました。

また、明治23年(1890)年には
『クリフォード・ウィルキンソン炭酸鑛泉』
(西宮市生瀬)が販売されていました。

布引、有馬、宝塚、平野と続く
六甲山麓の花崗岸層から湧出する鑛泉水には
炭酸ガスを含有するもの以外に、
炭酸ガスを含んでいないものもありました。」
(日本ミネラルウォーター協会HPより)

その後、炭酸を含まないミネラルウォーター
としては、昭和4年(1929)に
堀内合名会社の『富士鉱泉水』
(現、富士ミネラルウォーター)が
瓶詰・発売されたのが最初とされているそう。

また、第2次世界大戦後は、
『ミネラルウォーター・ガイドブック』
早川光著・新潮社刊)によると、
進駐軍の飲料水として需要が
増えたことから、鉱泉水をアメリカ式に
ミネラルウォーターと呼ぶのが
一般的になった」

さらに、昭和42(1967)年頃からは、
ウイスキーの水割りが流行り、
業務用のミネラルウォーターの消費が増え、
ニッカウヰスキー、日本鉱泉飲料、
サントリーなどが次々に
ミネラルウォーターを商品化したようだ。

家庭への普及はカレー用チェイサーとして

では、業務用ではなく一般家庭での
需要について目を向けると…、

「家庭への普及は昭和58年(1983)に
ハウス食品(株)がカレー用の
チェイサーとして『六甲のおいしい水』を発売。

これが家庭用ミネラルウォーターの
先駆けとなりました。」
(日本ミネラルウォーター協会HPより)

とのことで、なんと家でカレーを
食べる際の飲料として…だというから驚きだ。

家庭用のミネラルウォーターが、
ホテルや飲食店で使われる業務用の
消費量を上回るのは平成に入って
からなのだとか。

ちなみに、日本でのペットボトルの
発売は、昭和57年(1982)の2月。
食品衛生法に基づく容器包装の
規格基準の改正により、ペットボトルを
使った炭酸飲料や果汁飲料の製造が
はじまったのだそう。

また、500mLサイズのペットボトルは、
リサイクルの取り組みが本格化した1996年、
消費者ニーズにこたえて導入された
のだという。
(参照:全国清涼飲料工業会HP)

ウォーターサーバーの歴史は実は100年以上

では、近年注目を集めている
ウォーターサーバーの歴史を
振り返ってみよう。

なんとそのはじまりは、
今から100年以上前に遡るという。

20世紀初頭のアメリカで作られた
「ウォータークーラー」が最初といわれている。

日本にアメリカ式のウォーターサーバー
入ってきたのは1980年代といわれ、
アクアクララ』のHPによると、

「現在のような冷温装置はついて
いませんでしたが、汚れた水を
飲むためにろ過機能がついていました。
日本では、水道水への不安や健康志向
の高まりから、ここ数年、
急激な規模で広まっていますが、
2000年頃、宅配ウォーター
(現在のウォーターサーバーの形)が
全国的に広まり始めたようです。」
とある。

いまや、コンビニで24時間いつでも
好きな種類のミネラルウォーターが
購入でき、家庭用ウォーターサーバー
需要も年々高まっている。

こうして水の歴史を振り返ってみると、
日本人の水生活のクオリティーは、
今まさに急激に進化し続けているといえそうだ。

日本は水資源大国です。
昔から水はタダという価値観があったと
思います。それは水に困らず、いつでも
蛇口をひねれば、水が出ていたからです。

私は関東出身で、男体山から流れる地下水
を幼い頃から、飲んでいました。
その結果、病気もない恵まれたからだに
なりました。

そう水とは、その人の体質を決める重要
な栄養素だったのです。それは確信しています。
ただ都市部ですと、河川の水をいったん浄水場
で水を殺菌消毒して、カルキや塩素など、飲める
けど決して純粋ではない水を水道管により
各家庭に送り届けてきました。

いつの頃から、カルキ臭いとか、異臭がするという
苦情もあったようです。
それにより、台所の蛇口には、カルキ飛ばしという
小さなろ過装置が取り付けられました。
これがどの程度効果あるのか?
わかりませんが。見かけ上なにか浄水されている
ような気がしました。

それから、進歩すると本格的な浄水器
蛇口に取り付ける家庭が増えました。

この最盛期には、飛ぶように売れたので、
水という資源がお金になるという時代が
ありました。

ですが、怪しい商品も多く出回り、フィルター
交換で月に出費する費用もばかになりませんでした。
それが業者の手口というか、フィルターの
交換で半永久的に消費してもらうという
ビジネス形態でした。

まあビジネスはさておき、現在では日本、
海外も含め、世界各国の水が買える時代に
なりました。

有名なのは、イタリア、フランス、ドイツ、
ハワイ等ありますが、炭酸を含んだ硬水
なので、日本の軟水の水とは違います。

主成分もカルシウム、マグネシウムなどの
成分が含まれています。

硬水を幼い頃から毎日飲めば、ミネラルの多い
水ですので、自然と骨量が増えて、丈夫な
骨格になるでしょう。

結論として、幼児から成長期の子供は、
お金を惜しまず、硬水をお勧めします。
なぜなら、骨折しにくいからだを形成させる
からです。

成人になり高齢者になると、絶対的に
カルシウム量は減ります。これを水に頼る
のはムリがあります。
その場合、食品やサプリから摂るほうが
直接的で効果的です。

ムダではありませんが、ムリせずおいしく
食事をするほうが良いと考えます。

日本は軟水の水資源が豊富ですので
癖のない、お茶やおいしいご飯が炊けます。
水の用途を多様化することで、
私たちの生活に生かしていきたいですね。

最後までありがとうございました。