筋肉疲労からすべてが始まる老化、そして通所という流れ

筋骨の疲労からすべてが始まる老化

筋肉の起始停止がありますが、筋肉痛、疲労はすべてこれで解決という論議には、ムリがあります。じゃあ単体である表層の筋肉の状態を改善すればすべて解決、痛みは消えるのか?そうではありません。筋肉の表層部、深層部において、なんらしかの支障をきたす運動、動作をした結果、特定部位に痛みや、炎症が発症するわけで、これを特定筋肉が原因と考えることは、ムリがあります。

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これでは、西欧医学の流れの切ったり張ったりするような物理的療法でしかありません。指圧、針、お灸などありますが、これにのっとって施術をして効果があるのかどうか疑問が生じます。トリガーポーイントという理学療法が効果があるような印象に世間では言われていますが、果たして結果はどうでしょうか?疑問が残ります。なぜ、これが重視されるのか?というと、リハビリは理学療法的な世界で、脳梗塞や半身不随や機能を制限された人にとっては有効だと考えている風潮があるからです。

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リハビリの効果と施設の現実

しかし、効果はどうか?治る治らない。患者さんにとっては、とても重要な問題です。このステーションへ来れば良くなる。理学療法をすれば、改善する。そういう期待を持って来る人々に救いがあるのか?と思います。家にいるのは、社会性の閉塞になるので、なるべく外に出て刺激を感じることが重要。家にいれば、なにもしない人がほとんどです。なにもしないほうが安全だから、1日中テレビを見て過ごします。

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そういう高齢者が多いはずです。最近では、スタッフ不足で、利用者が自分勝手に自主訓練をするというパターンが多くなっているようです。なんのための介護ステーションなのか意味がわかりません。当然、利用者はほったらかし状態で、決められた時間にバスが到着すると、決められたグループのテーブルに座らされる。昼になると施設の食事を取り、昼寝。そして自主活動というほったらかし。

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気のあったヒト同士、ボードゲームをしたり帰る時間まで時間をつぶす。これが、だいたい1日の介護ステーションの流れです。これで、なにがよくなるのか?という問題がありますが、別に良くならなくてもいいのです。良くならなくても事業者は困らない。むしろ死なれては困るわけで、死なないように、重度の要介護、要支援のヒトを生かしておくのです。それが施設の考え方です。

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だから、表面はいいことばかりいいますが、裏では銭勘定しています。それが現実。家族は、面倒な高齢者を施設に入れておけば、自分の時間ができるし、ヒトまかせのほうが責任を回避しやすい。自分と家族の負担を考えれば、少しぐらいお金を都合すれば、いいのです。施設を知らないヒトは、夢も希望もなくなるでしょう。しかこれが現実なのです。

 

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キレイ事ではないのです。世の中タダでやってもらおうなどと考えないほうがいい。タダなんてないのです。 そりゃ老人を介護してボランティアすれば、他人は評価しますがその評価は無価値なものです。自己満足でやればいいけど、長続きはしません。ヒトを介護するとか、お世話するとか、知らないヒトは、美談にすぐにしますが、現場は美談では済まされません。